「全ての子ども達に拍手を」

佐々木宏志 父親ネットワーク北海道副会長

 最近、身の回りで考えさせられることが色々起こりました。今回はそれらをオブラートに包みつつ、一般論として展開します(何だ、この理屈っぽい前置き)。

 

 いきなり問題です。あなたは我が子を連れて公園に遊びに行きました。公園には、子どもたちがいっぱい遊んでいます(あなたが知っている子も知らない子もいます)。公園にいる大人はあなただけです。さて、あなたはどうしますか?

 

①全ての子どもに気を配る

②自分の子どもと知っている子どもだけに気を配る

③自分の子どもだけに気を配る

④何も気にせず、文庫本でも読む(自分の世界に入る)

 

 私個人の心情としては、①と答える親が多くいてほしいです。でも、この設問に限らず、近年は様々な場面において③がダントツのようです(実は、④も相当数いそうな気がする)。

 確かに、親の立場からすれば我が子が一番かわいいし、気になりますよね。それは十分理解できます。でも、大人としてはどうなの?って思っちゃいます。

 

行事の中で、(自分の子どもが参加していない出し物は)「興味が無いから削れ」とか、「子どもが飽きるから削れ」とか、どうしたらそんな発言できるのかなぁ?

「ちゃんと見ようね」って教えられないのかなぁ?

 

 スポーツをがんばる子ども。お遊戯をがんばる子ども。歌をがんばる子ども。楽器をがんばる子ども。跳び箱をがんばる子ども。お絵かきをがんばる子ども。先生のお手伝いをがんばる子ども・・・。

 おやじクラブに関わって7年目。その辺の親に比較したら、ずっと多くの子ども達を見、そして、接してきた自信はあります。私は全ての子ども達に対し、出来る限りの声援と拍手を送ってきたつもりです。

 

 以前紹介しましたが、おやじクラブは「子どもを楽しませたい」、「子どもと楽しみたい」おやじの集まりです。この認識を、おやじクラブだけではなく大人(保護者)として共有できれば、「我が子だけ」とか「私だけ」といったエゴは出ないような気がするんだけどなぁ。理想論すぎるのかなぁ?

 

あ、親のエゴやわがままって、他人に向けたつもりでも往々にして我が子に降りかかるので要注意ですよ。

 

 今回は終始ボヤいてしまいました。まぁ、私のような意見は極めて少数であることは認識しています。大事なのは、「親」と「大人(=一保護者)」の目線のバランス感覚なのではないでしょうか?

皆さんには「親の目線」のみならず「大人の目線」も大事にしていただきたいですし、私自身そうあり続けたいと思います。

 

う~ん。何やら、部屋の隅から「親の目線を忘れているぞ!!」って、「刺すような視線」が私を攻撃している気がする・・・。これじゃダメじゃん。

 

「人のふり見て我がふり直せ・・・るか?」

                                           佐々木 宏志(父親ネットワーク北海道副会長)

   数多ある世のおやじ達のホームページの中から父親ネットを見つけ出し、さらにはこのエッセイコーナーをご覧いただいている方には「何を今さら」と言われる話題です。

 突然ですが、皆さんは「叱る」と「怒る」をきちんと使い分けていますか?手元にある何冊かの辞書を総合すると、大体次のように記述されているようです。

「怒る」→腹を立てる

 「叱る」→戒める

 私流に解釈すれば、子どもが危険な行動をした際に、「(自分の感情に支配されて)危ないだろう!!」って叫んだりするのが前者。「何がどう危ないのか。だからやってはいけないよ」と諭すのが後者。

 「上手な叱り方」って本はありそうな気がしますが、「上手な怒り方」って本は無さそうですよね。と言えば理解していただけるでしょうか?ご理解いただけたのであれば、お手元のガッテンボタンを押してください。

 おやじクラブの行事、我が家で良く遊びに行く五天山公園でも見かけます。「怒っている」お父さんお母さん。第三者の立場としては、「何もそこまで言わなくてもいいんじゃない?」と思うことしきりですが、時と場所を変えれば、それって私もやっていることなんですよね・・・

 自分自身に後ろ暗いところがあるので、公衆の面前で子どもを怒っているお父さんやお母さん、私と同じような口調で弟妹を怒る我が家の長男坊を見るとドキッとさせられます。

 で、反省するんです。「こんな怒り方って無いよなぁ。失敗したなぁ」って。そして、思うんです。「次はきちんと“叱ろう”」って。直そうとはしているんです。

 でも、「次」の場面は大体、自分自身仕事でとても疲れていて、精神状態(機嫌)が悪い時に起きます。そしてまた、“怒って”しまう。負のスパイラル。

 我が子たちよ。頼むから、何か悪いことをする時は父ちゃんの機嫌が良い時にしてくれ!次はきちんと“叱る”から。

 あ、世のお父さんお母さん。二人で一緒に怒っちゃったらダメですよ。どちらかがフォローして(叱って)下さいね。

Essay 「時間は作るもの」

                         佐々木宏志 (父親ネットワーク北海道 副会長)

 父親ネットワーク北海道のホームページ立ち上げにあたり、拙文を寄せます。私に関する情報は役員紹介のコーナーに譲るとして、まずは私が所属する「平和幼稚園おやじクラブ」について若干の宣伝を。

 おやじクラブは平成3年に幼稚園の要請を受けて発足した、“子どもと遊びたい”、“子どもを楽しませたい”、“ついでに自分も楽しみたい”おやじ達の集団で、設立20周年の記念祝賀会を昨年行いました。幼稚園の先生方からの多大なご協力はありますが、人事・会計とも完全に独立した任意団体で、田植え・稲刈り、キャンプ等の独自行事のほか、もちつき大会等の園行事のお手伝いもしています。

なんだかんだで、行事は月1ペースとかなりハード。平成24年度は新旧会員合わせて70名で走り出したところです。

 さて、おやじクラブの明文化されたモットーは、「来られる時に来る。来たら楽しむ」です。おやじの本分は家族を養うこと。仕事が忙しいのはお互い承知の上。行事だろうが会議(飲み会)だろうが、「来られる時に来て、子どもと(自分も)楽しんでね!!」っていうのが趣旨です。

これはこれで良しなのですが、裏を返せば、「忙しい時は来られない?」。しか~し、これっておやじ本位のモットーでは?

 おやじクラブの行事は、おやじと子どもが一緒に参加することが大原則です。このため、子どもが楽しみにしていた行事であっても、おやじの急な仕事で欠席せざるを得ない状況では「子どもが泣く」事態が頻発し、問題となっていました。

 これを打開すべく、3年前からは「おやじにやむを得ない状況が発生した場合には母親の引率(参加)を認める」との内規が出来ました。

 では、子どもを悲しませないようにするには、どうすれば良いのでしょうか?この問いに対する一つの回答が、明文化されていないモットー「時間は作るもの」です。

 業種・業態により一概には言えませんが、皆さんは子どもと触れ合う時間を作る努力をしていますか?「疲れているからできません」、「(他の)仕事で忙しいからやってません」。家族には通用するかもしれませんが、上司や取引先にこれらの言葉を発したことがありますか?言っちゃったら社会人失格だけどね。

 作る努力をしなければ、子どもと楽しむ時間は永遠に得られません。忙しければ忙しいほど、時間の捻出には職場と取引先の理解と協力が必要です。

 本当に大事なのは、これらを得る努力と姿勢ではないでしょうか?結果、努力が報われなくても、その姿は子どもに伝わります。私の経験では、子どもは結構見ているものです。

 大人でも子どもでも、人間って甘えやすいところには甘えちゃうんですよね。おやじが一番甘えやすいのが、子ども(を主体とした家族)かもしれません。でも、疲れていることを理由にダラダラした週末を過ごすより、子どもと遊んだ後のほうがスッキリした気分で月曜日を迎えられるのも、また事実です。肉体的な疲労は年齢のためですよ(爆)。

 え、私?永遠の甘えん坊からそろそろ卒業しないとね(100%自戒の念を込めて)。